価値の分からない人に売ってはいけない
仕事をしていると、なぜこの価値が伝わらないのだろう、と思うことがあります。 こちらは良いものを提供しているつもりなのに、相手が見るのは価格ばかりです。 品質を高めても反応は変わらず、丁寧に説明しても、最後には「もう少し安くなりませんか」と言われます。
こういうことが続くと、提供する側は自分たちの商品に問題があると考え始めます。 機能が足りないのか、説明が悪いのか、競合より価格が高すぎるのか。 本当に商品に問題がある場合もありますが、別の可能性もあります。 売る相手を間違えている、という可能性です。
このことを、以前 X に短く書きました。
価値が分からない人に売ってはいけない。モノもヒトも自分も。 そして、価値が分からない人を説得するくらいなら、価値が分かる人を探した方が早い。 世界は広く、深くて、なぜか狭いので、案外、近くに居たりする。
— @kimiya(2026年4月3日)
ここで言う価値がどこで決まるのかから考えていきます。
評価は誰が決めるのか
同じものを見ても、その評価は人によって違います。 数百円のボールペンで十分だと思っている人に、数万円の万年筆の書き味や、修理しながら長く使えることを説明しても、その差に数万円を払う理由はありません。 これは、その人が万年筆の価値を理解できないからではありません。 その価値を必要としていないからです。
ここに、売り手が陥りやすい誤解があります。 良い商品を作れば、それに応じた価値が商品そのものに蓄積されると考えてしまうことです。 そう考えていると、顧客が価値を認めないときに「価値が伝わっていない」と受け取ることになります。
マーケティング研究者の Stephen L. Vargo と Robert F. Lusch は、2004 年の論文で、商品に価値が埋め込まれているとする従来のマーケティング観とは異なる見方を示しました1。 そこで提示された Service-Dominant Logic は、価値を企業が一方的に生産して顧客へ渡すものとは捉えません。 価値は顧客が使う場面の中で生まれ、その大きさを決めるのは受け手である、と考えます。
この見方に立てば、同じ商品への評価が顧客によって違うことは当然です。 商品が変わったのではなく、商品と顧客との関係が違うのです。
「価値の分からない人」はいるのか
そうだとすれば、ある顧客が自社の商品を評価しない理由を、顧客に見る目がないからだと説明することはできません。 価値が顧客との関係によって決まるのであれば、売り手だけで価値を決めることはできないからです。
システム開発では、目に見える機能が同じでも、その作り方に大きな違いがあります。 テストを書き、設計を整理し、ライブラリを更新し続け、監視を整え、将来の変更を見越してコードを書きます。 どれもコストのかかることです。 発注する企業が、決められた機能が期日までに動けばよいと考えているなら、その違いに追加の費用を払う理由はありません。 反対に、何年もサービスを運用して機能を足し続ける企業にとっては、同じ違いが金額に見合います。
前者と後者では、同じ開発会社を見ても評価が分かれます。
説得すれば売れるのか
それでも営業では、価値を伝えることが重視されます。 知られていない価値を説明することには意味がありますし、顧客が知らなかった選択肢を示すのも営業の仕事です。
とはいえ、説明すれば誰にでも価値を理解してもらえる、ということにはなりません。 先ほどの例で、発注企業が半年後にシステムを廃止すると決めているなら、5 年後の保守性をいくら説明しても届きません。 説明が不足しているのではなく、顧客が置かれている状況に、その価値が合っていないのです。
だとすれば、営業の目的はすべての顧客を説得することではありません。 自分たちが提供できる価値と、顧客が必要としている価値が一致する場所を探すことです。
市場という言葉が指すもの
誰に売るかという問題は、市場とは何かという問題につながります。
市場という言葉からは、すでに存在する需要の集まりを想像しやすいものです。 市場規模を調べ、顧客を分類し、その中からターゲットを決めます。 この考え方では、市場は企業が参入する前から存在していて、企業の仕事はそれを見つけて自社の商品を合わせることになります。
ただ、新しい事業が生まれる過程を考えると、この説明だけでは足りません。 最初から明確な市場が存在しない事業があるからです。
市場が先に存在しない事業
起業家研究者の Saras D. Sarasvathy は、2001 年の論文でこの問題を扱っています2。 従来の経済学や経営学は企業や市場の存在を前提として議論することが多く、新しい企業や新しい市場がどのように生まれるのかを説明するには、その前提だけでは足りないと指摘しました。
そこで示されたのが Effectuation です。 未来を正確に予測して最適な市場を選ぶのではなく、いま持っている手段を使い、関係者とやりとりしながら未来を形づくっていく過程に注目します。
顧客も、完成した市場の中から選び出される存在とは限りません。 最初の顧客と話し、商品を使ってもらうなかで、予想していなかった使い方を知ります。 その顧客から別の顧客を紹介され、やりとりの過程で商品そのものも変わっていきます。 こうしたやりとりの結果として、誰が何に価値を感じるのかが次第に分かってきます。
市場が先にあり、そこへ商品を投入するだけではありません。 商品と顧客のやりとりによって、市場そのものが形づくられていきます。
最初の顧客から返ってくるもの
この見方に立つと、最初の顧客を誰にするかは売上以上の意味を持ちます。
顧客から返ってくるのは売上だけではありません。 何に価値を感じ、何にはお金を払わず、何が足りないと考え、誰に紹介したいと思うのか。 こうした反応が、商品と会社の方向を変えていきます。
価格だけを見る顧客と取引を続ければ、会社は価格に適応していきます。 品質を評価する顧客と取引を続ければ、品質への投資が事業として成立します。 専門性を評価する顧客が集まれば、さらに専門性を高められます。
顧客を選ぶことは、営業効率を上げるための行為であるだけでなく、どのような市場をつくるかを選ぶ行為でもあります。
価値を評価しない相手にどうするか
価値を評価してくれない相手に、もっと説明するべきなのでしょうか。 価格を下げるべきなのでしょうか。 相手が欲しがるものに商品を変えるべきなのでしょうか。
そうした対応が必要な場面もあります。 ただ、評価されない部分を削り、求められた部分を足すことを続けていけば、商品は相手の要求の形に近づいていきます。 その先で、自分たちが提供したかった価値そのものが商品から抜けていきます。
もうひとつの選択肢は、その価値を必要としている人と仕事をすることです。 そこで生まれた仕事を改善し、その顧客との関係から次の顧客を見つけます。 その繰り返しによって、同じものに価値を認める人たちが少しずつ集まってきます。
この集まりを、私たちは市場と呼んでいます。 市場とは、需要の集合ではなく、価値観の集合です。
誰にでも売ろうとするのではなく、自分たちが大切にする価値を必要とする人を探し、その人たちとの仕事を通じて次の顧客との関係をつくります。 市場は、その先にできていきます。
Footnotes
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Stephen L. Vargo、Robert F. Lusch「Evolving to a New Dominant Logic for Marketing」(Journal of Marketing, Vol. 68, No. 1, 2004, pp. 1-17) ↩
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Saras D. Sarasvathy「Causation and Effectuation: Toward a Theoretical Shift from Economic Inevitability to Entrepreneurial Contingency」(Academy of Management Review, Vol. 26, No. 2, 2001, pp. 243-263) ↩